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大友愛に聞いてみた!アスリートとしての妊娠・出産の難しさ

特別取材【前編】:女子バレーボール元日本代表 大友愛さんの挑戦と葛藤

元女子バレーボール日本代表選手として、数々の試合で活躍してきた大友愛さん。彼女は当初から競技において大きな目標を掲げて努力を続けてきましたが、キャリアの途中で「女性としての人生」についても大きな決断が必要になります。今回は、大友さんのキャリア計画、そしてアスリートと女性という2つの立場から見た挑戦や葛藤について伺いました。

期待と不安の先の未来

​​― 大友さんはアスリートとして、どのようなキャリア計画を持っていましたか?

中学からバレーボールを始めて、当時はただ楽しくて続けていただけで、プロになるなんて考えていませんでした。周囲から「将来日の丸を背負って」と期待されても、「私が日の丸なんて絶対無理」と思っていたんです。でも、高校の進路を決めるときに先生方がいろんな道を考えてくれたこともあって、私はバレーボールを続けてこれたんだと思います。」

「引退」と「復帰」への決断

― 妊娠がわかったとき、どのような気持ちでしたか?

「妊娠がわかったのは23歳で、まさにキャリアの全盛期だったんです。出産を決めたものの、当時は『競技者としてこの時期に?』と周囲から反対されることも多く、戸惑いました。それでも、私は母親になる道を選びました。」

大友さんは引退を決断。しかし、その後、眞鍋監督との出会いをきっかけに再び競技の道へ戻る決心をします。

― 引退後、どのような経緯で現役復帰を決意されたのですか?

「最初は復帰するつもりはなく、普通に主婦として過ごしていました。でも、眞鍋監督から度重なる声がけがあって、いつしかその思いに応えたいという気持ちが強くなってきたんです。」

当初は眞鍋監督に復帰を頼まれても断っていたという大友さん。しかし、何度もアプローチしてくれる眞鍋監督の姿勢に触れ、「求められていることに意味を感じるようになった」と話します。

ー眞鍋監督からはどのようなアプローチがあったのですか?

「妊娠中に友人と食事の約束をしていて、お店に行ったら眞鍋監督がいたんですよね。私は最初、眞鍋監督を存じていなくて、誰この人?というのが第一印象でした。出産予定日が8月で、通常は11月にリーグが始まるところ、その年は翌年1月になるということで、『8月に産んだら1月に復帰できるやろ』と最初に言われたんですよ。(笑)」

初対面で衝撃的な提案をされた大友さん。当時は妊娠3、4ヶ月だったこともあり、誘いを断ったそうです。しかし眞鍋監督のアプローチは続きます。

「知らない番号から何回も着信が入ってたんですよ。誰だろうと思って出たら、「俺や。気持ちは変わったか?」と言われて、すぐに着信拒否しました。(笑)」

眞鍋監督との連絡を絶った大友さんですが、その後、復帰の決断のきっかけとなる出来事が起こります。

「ある日、先輩からご飯に誘われてお店に行ったら、また眞鍋監督がいたんです。びっくりしました。その先輩は大会で優勝するぐらいのメンバーで信頼していたこともあり、先輩からも復帰について話をされて、少しずつ、また一緒にやれたら楽しそうだなという気持ちに変わってきました。」

眞鍋監督だけでなく、大友さん自身が信頼を寄せていた先輩からも声がかかり、次第に復帰への道を現実的に考え始めた大友さん。その頃から眞鍋監督への印象も変わり始めたと言います。

「眞鍋監督自身も、私が妊娠している時からの2年半から3年ぐらいアプローチを続けてきてくれて、その都度『そのお前のスピードがチームに必要なんや』とずっと胸の内を言ってくれていました。腹割って話してみて少しずつ気持ちが変わり、最後は根負けしたような形でしたが、復帰を決めました。そこまでして戻ってきてほしいと言われることってなかなかないことなので、 眞鍋監督を信じてまたバレーボールができて、今はあのときチームに戻って本当によかったと思っています。」

― 実際に復帰したとき、苦労した点はありましたか?

「復帰に向けた準備を全くしていなかったので、最初のトレーニングは本当に大変でした。筋力が落ちていて、筋肉だけでなく骨が痛くなるほど。自分の体力のなさに絶望しましたが、ここからが闘いだと思い直し、練習を続けました。」

女性アスリートとしての苦悩とサポート体制の変化

― 女性特有の悩み、特に生理やPMSについてはどのように対応されていましたか?

「バレーボールの指導者は男性が多いので、昔はそういった話題には触れにくい雰囲気でした。私はお腹が痛くなれば痛み止めを飲んで、気合いで乗り切ることが多かったですね。」

しかし、ロンドンオリンピックの時には、チーム体制が大きく変わり、女性の体調管理が考慮されるようになったそうです。

― オリンピックに向けて、どのようにチーム体制が変わったのですか?

「スタッフが個々の選手と面談を行い、それぞれの生理周期や体調に合わせて、どう調整するかを話し合うようになりました。中にはピルを利用する選手もいましたが、身体に合わない人もいるので、それぞれ選手に合った方法でコンディションを整えていました。」

アスリートとしての妊娠・出産の難しさ

― アスリートの妊娠・出産のタイミングの難しさについてどう感じますか?

「私は若い頃に出産しましたが、アスリートにとっては『競技か、出産か』という究極の選択を迫られることが多いと思います。特に20代後半から30代は、競技でも最高のパフォーマンスができる年齢であり、私生活も充実させたい時期だと思うので、悩む人は多いと思います。」

― 実際に競技と子育てを両立させるために、どのような工夫が必要でしたか?

「ベビーシッターさんや家族のサポートが欠かせませんでした。競技に集中するためには育児を助けてくれる人の存在が何よりも重要で、家族の支えがあってこそ両立することができたのだと思います。」

さらに、競技をしながら子育てをしていた周りの人からも、「家族のサポートがないと競技をすることは難しい」という声が上がっていたそう。競技と子育ての両立への支援はまだまだ足りていないという現状がありそうです。

取材後記

女性アスリートが妊娠や出産を経て競技に戻る難しさや、現場のサポート体制が時代と共に変わってきたことが分かりました。しかし、まだ課題は多く、特に競技と子育てを両立するための支援の面で改善の余地が残されています。

後編では、大友さんが次世代の女性アスリートに伝えたいメッセージや、卵子凍結についての考えをお聞きします。次回もぜひご覧ください!

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